話を先に進めてみる

昨日あんなこと書いておいてなんだけれども、正直言うと、マンガ雑誌の批判はあまり気がすすまない。
業界に片足つっこんだ人間が、こんなこと書いても妬みや、やっかみにしか受け取られないからだ。編集者の自己主張もほどほどにしろよ、ってのをブログで身をもって証明してくれた先人もいるわけだしね。実際、ブラッドやファングのときも、仲間内ではさんざんネタにしたけれど、公の場所でなにかを書くことは一切なかった。

それに、書いたからなんだ、ということもない。
十分に練り込まれたコンセプトがなく無能編集者しかいない、つまらない雑誌は単に「とっとと消えていく」だけ。もしコミックギアが売れなければ、過去消えていった数多の雑誌のひとつとして歴史に名を連ねるだけ、なのである。連ねるというか、忘れられるだけかも知れないけれどね。だからそれをいちいち取り上げて「このマンガ雑誌はこんなにひどくてつまらないんだぜ!ハハハ!」と言うことは、少なくとも俺の立場からすればまったく建設的ではない。これらが失敗した原因を分析し、反面教師とするのはもちろん有効ではあるけれども。

厳しい言い方にはなるが、そもそも、ヒロユキ氏自身に中・長編ストーリマンガの製作スキルが圧倒的に足りていなかったのではないか。現に出世作である『ドージンワーク』、連載中の『マンガ家さんとアシスタントさんと』にしたって、4コマもしくはショート構成のものばかりだし。その彼が「先輩作家」として「朝から晩までつきっきりのコーチ」の役割なのだから、それ以上のものが出来るわけがない。やはり長編マンガについての認識が甘かった、と言わざるを得ない。これがもし長編マンガでなく、ヒロユキ氏得意のショートを集めたものであったなら、そして(先のエントリで書いたような)出版社の適度なコントロールがあったのであれば……まただいぶ、違ったマンガ誌が出来上がったかも知れない。

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俺以外の人がネットでもいろいろ書いているし、もうこれ以上はいいだろう。というわけで、面白い/つまらないという話はこのへんにして、先に進みたい。
実は俺が書きたかったことは別にあって、コミックギアの話は単なるフックでしかなかったりする。

既存の感覚では真っ先に否定されるような「コミックギア」を、少なくとも制作者側は勝算を持って世に送り出した。これは単なる、ごく一部の人々の暴走だろうか。

そうではなく、誰もが今後、引き起こしてしまう可能性のある、起こるべくして起こった事態だと考えたら、どうだろう。


……と、思わせぶりに振っておいて、自分のなかでも完全にまとまっていないので、まだ書くことが出来ないのだが、重要と思われるキーワードをふたつほど挙げておきたい。



■同人と商業のボーダレス化

このマンガ誌が発表されたときに「同人誌でやれ!」と叫んだ人々の違和感。対して「商業誌でもやれる!」と考えた人々の確信。
同人は、もはや商業的に無視できない存在になってしまった。同人の市場がどんどん膨らむことで、本来同人の場で許されていた感覚が、商業の場でも許されるようになってきている。

■作家同士のコミュニケーションの変質

本来、産みの苦しみは孤独との戦いだと思う。徹底的に追い詰められて、その極限の状態で自分の手で生み出す。自分の手で生み出されたからこそ、信じられる。
それを商売敵である同業者にすぐに見せ、同意を得られなければ撤回し、得られたら安心する…そのロジックは正しいのか?

http://d.hatena.ne.jp/ruitakato/20090812

このへんの違和感は、俺が語るよりも作家側からの意見のほうが説得力があるので、高遠るい氏のブログの上記エントリを参照されたし。
誰かが本に載ることで、自分が本に載る可能性が少なからず消えている。誰かに仕事が来ることで、少なからず自分に仕事が回ってくる可能性が減っている……そう考えれば、周りのマンガ家は等しく敵、である。
程度の差こそあれ、表層では仲良しを演じながら、内側ではライバル心を燃やしている。それが作家としての当たり前の姿勢だと思っていた。しかしどうも、それが変わりつつある。

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特にネットという場がコミュニケーションの質と、作品発表の方法を根本的に変え始めている。ネットで便利になったとかということじゃない何かを。
今や自らのライフワークになりつつある「TINAMI」をはじめたときに、こんな運営理念と指針を立てた。そこからすれば、この状況について考えることは、もはや避けて通れない。




……我ながらまわりくどい内容ですいません(笑)。
ここから先は思い立ったりまとまった時に、のんびり書くことにしますね。